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百歳の祖母、静かに逝く

Posted by なっちのパパ on 29.2007 雑記 0 comments 0 trackback
新年のご挨拶を申し上げるべきところ
祖母の喪中につきご遠慮申し上げます
今年中に賜りましたご厚情を深謝致しますと共に
明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます
平成十九年十二月二十九日


 祖母は明治41年、西暦1908年11月24日、京都府宮津市にて生を受けました。お父さんはよく働く大変まじめな方で17歳にして現在の家を建てられたと聞きました。お母さんは誰からも愛されるほからがな方だったと聞いております。祖母はお二人の一人娘として、一心に愛情を受けて育ったと聞いております。昭和に入り、大工だった祖父を夫に迎え、3男2女、孫11人、曾孫22人に恵まれました。先月27日には、お世話になっていた天橋園にて祖母は誕生日を迎え、「どなたさんも今日は私の誕生日のためにお集まり頂きありがとうございます。これからも体に気をつけてもっともっと長生きするつもりです。皆様もどうぞ長生きして下さい。」と元気に挨拶ができるほどでしたが、今月体調を崩し、満九十九歳で亡くなりました。今年で数え百歳でした。

 祖母は尋常高等小学校に通っていたころは、学業優秀で表彰もよくされ、宮津のお殿様だった方から、学校で一人しかもらえない金時計をもらったこともあるそうです。90歳を過ぎても実に頭の切れる祖母には私もいろいろと知恵を借りました。体も健康で、軟式テニス、ゲートボールなどスポーツも得意でした。旅が好きで、日本中、世界中を旅しました。

 大酒飲みの夫と息子には大変苦労した人生だったと思いますが、一番辛かったのは、息子に先に旅立たれたことだったことだと思います。誰にも涙を見せない気丈な祖母でしたが、孫には時々寂しくなっていた様子を見せていました。

 祖母は、毎日朝4時過ぎに朝市に出かけ、作った野菜を売り、日が暮れても働き抜き、腰も曲がりました。雪が降る中、外の庭で冷たい水に手を浸しながら、何束もの、ほうれん草を洗っていた祖母の後ろ姿が今でも忘れられません。本当にいつも働く人でした。「健康で働けるだけで本当に有難い」ーが、いつもの祖母の口癖でした。

 年を取り思うように体が動けなくなってからは、とくに一人一人を大切に思い、人から尊敬され愛される人でした。

 最後に、心を尽くした介護をして頂いた天橋園の皆様、お世話になったご近所の皆様、親戚の皆様、母と姉に感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。感謝合掌。

ー祖母と母、2007年宮津天橋園にてー
祖母
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